無題

いつまでたっても幸せになれない気がした。幸せの受容器みたいなものがめちゃくちゃに破壊されているせいで、幸せらしきものを取りこぼしてしまうような、

 

そんな気がした。

 

 

自分の心が壊れる音を聞いたことがある。それは多分突然のことではなくて、気づかないうちに小さなひびがいくつもいくつも入っていたような壊れ方をした。どうして、よりも先に、やっぱりそうか、と思った。いつか壊れるということを、私はいつからか悟っていた。

 

当たり前のことを当たり前にすることはとても難しい。当たり前のことが当たり前でなくなった時に初めてそれを実感し、世界は多くの人の努力で成り立っていること、人は努力により人の形を保っていることを知った。その努力を持続させる力をつけるために、人は絶えず学び続けなければならないということも。

 

 

人は誰でも自分の幸せを願っている。トルストイは人生論において、それがすなわち生きることであると説いた。自分の幸せを他人が侵害する場合には、その他人を抹殺することも厭わない、それが生きることであり、同時に無意味な生き方であるとした。

全ての自己愛を捨てて、隣人の幸せを願って生きることこそが理知的な生である、というところまで読んで、私はそれ以上読み進めることができなかった。結局これは理想論で、実現されることのない夢のようだと思った。夢の中で生きていけることができたなら、どんなにか幸せだろうと、夢は夢であるから夢たりえていて、実現した途端それは現実となる。現実と夢の違いは、不都合が見えるか見えないかだけで、実は変わらない。でなければ、常に夢を見続けて夢を実現してきた私やほかの人々が、こんなに辛そうに生きているわけがないからだ。

奥華子の楽曲の中に楔という名前の曲があって、約束は心をつなぎとめるものではなくて自分への気休めなんじゃないかみたいな歌詞があるのだけれど本当にそう、奥華子は正しい、約束では心をつなぎとめることができない。例え書面でかわすようなガチガチの約束だったとしても。

 

わたしとあなたはお付き合いしています、という約束を交わした人とは別の人と体を重ねたのに何の罪悪感も湧かなくて笑ってしまったし、もし相手が私と同じことをしたとしても特に何がしかの感情が湧いてくるというようなこともなさそうで、何が間違っていて何がおかしくてどこが狂っているのか、とうとう私には何もわからなくなったと思った。別にショックを受けたとかそういうこともなく、ただ単純にそう思った。

 

考えることを放棄して適当な言葉を吐きつづける生活に慣れてしまったせいで頭が悪くなっている。もっと頭が良くなって、つまらないことで悩まないようになりたい。私のことを理解してくれる人がいないことくらいわかってる、それでも私はその誰かを求め続けたいし、それで辛うじて今生きているようなところもある、現実を見た途端死んでしまうような気がしているから、私は理想と現実をリンクさせようと今必死になっているんだろう、理想と現実と復讐とが混ざり合ってできた暗く淀む水たまりの中で最悪私は生きて死ぬ。

自分のことを無機物だと思い込めば無敵

誰かに必要とされたいけれど、別に誰でもいいというわけではなくて、私が必要としている人とは別の人で、究極私がいなくても生きていけそうな人に、私のことを必要な人間だと半永久的に思っていてほしい。

 

金曜日の夜、高校の時の同級生にいろいろなことを言ったしいろいろなことを言われたけれどほとんど覚えていない。彼はきっと頭が良くて感受性が強い、そのせいで私が知らないうちに放っている毒電波的なものをいともたやすくキャッチして、彼も気づかないうちに私に投げ返してきているような気がする。最終的に私はいい年して大泣きした。

 

私には弱点があって、ハートフルな疑似家族ものの映画やドラマを鑑賞するとか、アダルトチルドレンの手記や自閉症の人のエッセイを読むとか、あとは自分の家庭環境の話を事細かにさせるとか、それだけで簡単に泣くようにできている。別に泣きたいわけじゃなくて勝手に泣けてくるだけだから心配しないでほしいんだけど、大の大人が急に泣き始めたら普通はびっくりするよね。

多分だけど私は人や物に自分の意見や考えを反射させて物事を理解するような節があるようで、私が投げかけているものの中に私の弱点が必ず入ってしまっているせいで、その部分だけを返してくるような人や物と出会ってしまったときに泣けてくるのだと思う。自分語りなんかは最悪だ。ポケモンで言えば、ゴーストはゴーストに弱いみたいなイメージだ。だから私は私に似ている人もだめで、自分に似ている人を見つけるとうれしくなって近づく癖に、間に分厚い壁を置くみたいなめんどくさい付き合い方をしたがる傾向にある。

 

金曜日大泣きした理由を覚えていない。次の日彼とのLINEを見たら意味不明な文字列が並んでいた。とりあえず昨日のことは気にしないでと送ったけれど、彼に気にしないでという内容の連絡を送るのはこれで何度目かわからない。どれだけ気にしなければいいんだ、ていうかもう近づかない方がいいのでは? お互いに。と思ったけれど、きっと私は彼のことを必要としているような気がする。彼は多分私に似ていて、そんな変な人はあまりいないからだ。

 

私と私に似た人が、お互いを必要だと思ったままで、別のだれかに必要とされて、お互いを必要だと思ったままで、別のだれかの必要をまっとうするような、そういう関係を築いていきたい、それが一番傷つけあわない、幸せな選択という気がしている、大変身勝手な話で、身勝手と思うことすら身勝手な話だけれど。

 

わたしをすきなひとが、わたしに関係のないところで、わたしのことをすきなまんまで、わたし以外のだれかにしあわせにしてもらえたらいいのに。わたしのことをすきなまんまで(最果タヒ「夢やうつつ」/詩集「死んでしまう系のぼくらに」収録)

雑感

実の親に責任を果たせと言っておきながら、その実自分の人生に責任を持てないでいる私は、さすがこの親にしてこの子ありと自分で背負うべき責任すらも親になすりつけようとしているどうしようもない人間だと思う。

 

昨日のこととあとはまあギリギリ明日のことぐらいしか考えられない、なぜなら脳の容量がとっても小さいので、日ごろから暴力ばかり受けてきた子どもの脳は委縮しているらしいよと誰かから聞いた時にああなるほどだからかと思った、そうやって自分の頭の悪さすらも他人のせいにしているんだ私は。

 

自分を大切にしている人と自分を大切にできない私のやっていることが結局一緒になってしまっていることに不思議さを感じている、私もあの子も自分を大切にしたいけどやっぱりできていないのか、それかその逆か、いずれにせよすべての事象には多面性があるから、同じものを違うところから見ているだけってことなのかもしれない、どちらも間違ってて、どちらも真実ということにしたい。

 

会社の健康診断ではとっても健康体ですという結果が出たけれど私の何を見ているんだと思う、健康な人間がどうしてこんな不健康な思考回路を持ち合わせているんだと問いたい、私だってこんなぐるぐる考えてしまうような面倒な人間になんてなりたくなかったし願わくば信じられないくらい素直で心が普通に広い何も知らないオリコンチャート上位のアーティストの曲ばかり聞いていて手に入りやすい漫画だけ読んでいるような人になりたかった、そうすればきっと世界に対して自分に対してこんなに不信感を抱くことなんてなかったんだ。

白いところしか歩けない

今の私を過去の私がもし見たらよかったと思うだろうかうらやましいと思うだろうかそれとも絶望して死んでしまうのだろうか。

 

あなたはエリートだ、と言われてそうかもしれないと思った。だって私は中学生の時からずっとずっとエリートと呼ばれる人種になりたかったから、私を見下して蔑む大人を蹴散らしてやりたいと思っていたから、私は努力してきたから、できる限りの努力をして、ここまでやってきたのだから。

 

大人のことが嫌いだと思っていたら私はいつの間にか大人になっていた。

 

初めて男の人を怖いと思ったのは小学校2年生のころだった。我が家は共働きだったので、私が学童保育から帰ってきてから母が帰ってくるまでの2時間程度、一人で留守番をしていた。電話番もしていたし、インターホンが鳴れば出て、「父と母は今いません」という返答もしていたから、きっと変質者にとっては私は格好の餌食だったと思う。あの家、あの時間帯は小学生女児が一人だ、というのがあまりにもあからさまだったから。

ある日の夕方、一人で留守番していたらチャイムが鳴って、私はいつものように今父と母はいません、と言った。○○ちゃんに用事があるんだよ、とドアの向こうの人が言ったので、私は普通にドアを開けた。

目の前には人の好さそうな眼鏡の男の人が立っていて、その人は玄関のドアを閉めるとおおよそ普通の人であれば触らないようなところを執拗に触ってきた。小学2年生の私は、何をされているのかよくわからないけれど、何か良くないことをされているような気がしていて、とにかく怖くて動けないという状態に陥っていた。

その人は、気が済むと帰って行った。

 

その日から大人の男の人が怖くなった。親戚のおじさんのことも怖くなったし、スカートも履けなくなった。学校の先生のことも怖くて、男の人に親切にされると何かされるんじゃないかと思ってビクビクするようになった。男の人と話した日の夜は大体悪夢を見た。でも父だけは大丈夫だった。父だけは私の安心できる大人の男の人だった。父だけは大丈夫「だった」。暴力で心を壊されるまでは。

 

性的にも消費されて力でも勝てないのなら、私はもう偉くなるしかないと思った。舐められているからこういうことになるんだろうと思った。だから私は偉くなって、誰からも尊敬されるような人間になって、私を見下して蔑んできた人たちのことを蹴散らすしかないと思った。だから努力してきたつもりだ。誰にも舐められないように、言葉は尖らせて、お金を稼げるように、隙がないふりをして、つけ込まれないように、心は頑丈に閉ざして、閉ざして、閉ざして、ここまでやってきた。

 

今の私を過去の私がもし見たらよかったと思うだろうかうらやましいと思うだろうかそれとも絶望して死んでしまうのだろうか。

 

何が正解だったのか、よくわからない。

泡が乾いていくような

一時の幸せに身を委ねることが未来の私の首を真綿で絞め上げていくような行為だというのなら、私は私を一思いに殺してしまうかそのまま生きて首をゆるゆると絞められて死ぬか、いずれにせよ死ぬんだったらせめてきれいに死にたい、私は私が一番輝いているときに誰にも迷惑かけることなくひっそりと死にたい。

 

うつくしい人に抱かれながら思うのは、薄汚れた私でもうつくしい人に抱かれている瞬間は自分もうつくしい人間であると錯覚できること、そしてその錯覚は所詮錯覚にすぎず、時がたてばより一層自分が汚れていることが実感できてしまうこと、一時の幸せに身を委ねてもそれは私自身を幸せにすることには繋がらない、幸せな記憶が私をさらに不幸にする。

ヒエラルキーと居場所、一つの世界からの逃避

曇りの日の空は灰、美術の授業の課題で使った工作用紙の裏側と見比べながら私は体育館の前でバスケットボールを磨いていた。

女子バスケ部には部誌があって、そこに新入生が交代で練習メニューとか顧問の先生やコーチの言っていたことを書き留めていく。でも、入学してから5ヶ月くらいしか経ってないのに、新入生の中には既にもう揺らぐことのないヒエラルキーができていて、部誌を書くのはピラミッドの下層にいる私の仕事みたいになっていた。ていうか、ボール磨きだってそうだけど。

ヒエラルキーというより、ただの実力主義だ。運動なんか好きでもなんでもないくせに、少年漫画に影響されて中学生になったら何か運動部に入らなきゃいけないのかななんて思ったせいで、私は週に1回しかない部活の休日を、一人ボール磨きの時間に充てている。

テニス部とかバレー部はなんかきゃるきゃるしていて、部活内でいじめがありそうな感じがしたから、消去法的な感じでなんとなくバスケ部に入ったけど、バスケ部だってきゃるきゃるしていないだけでいじめは普通にあった。2年生の中でも無視されている先輩はいるし、1年生の中でも無視されている子はいる。私は下層の人間だけど、無視はされていないからまだマシ。部誌なんていくらでも書くし、ボールくらい何個だって磨く、それが私の居場所だというのなら。

この中学には運動部しかない。文化部もあるけど吹奏楽部しかないし、吹奏楽部ってほぼ運動部みたいなとこあるし。しかもきゃるきゃるしてるからパスだったし。そうやって考えると、今の私の立場って実は最善の策の上に成り立っているものなんじゃないかって思えてくる。最善がこんな感じかよやべえな、っていうのはもちろんわかってるけど。

5ヶ月バスケ部に所属して、わかったのはバスケットボールのルールとか、全力投球のボールが顔に当たると死ぬほど痛いということとか、あと先輩が理不尽に怖いということと、私はバスケが好きになれそうもないこと。最近は体育館に行くだけで身震いするようになった。そのうち体育館に行っただけで気絶するんじゃないかな。

 

私は将来絵本作家か漫画家になりたいくらい絵を描くのが好きなので、本当は美術部に入りたかったんだけど、この中学は規模が小さいから専任の美術の先生がいないせいで、そもそも美術部自体がなかった。ないなら作ろうと思ったんだけど、先生が少なくて顧問が見つからないし、ひと学年60人くらいしかいないこの学校で、1年生の私が5人部員を集められるかというとそれがなかなか難しくて、そうこうしている間に入部届を出す締切が来てしまって、というのも、この中学校では生徒は必ず何かしらの部活に入らなくてはならないという決まりがあって、病気とか怪我とかよほどのことがない限りは、入りたい部活がなくてもどこかしらに入部しなくてはならない。宗教上の理由とかでも入らなくてよくなるのかな。わかんないけど。

 

ああ、また嫌なこと思い出した。思い出すのこれで5回目だ。

 

昨日、1年生の中で一番うまい佐川が、1年生だけで集まっているときに突然「試合の日まで禁欲生活をして練習に打ち込もう。禁欲を破ったらフットワークとシュート練習2倍ね」とか言ってきて、本当にだるいなと思った。ただのあるバスケ漫画の受け売りで、ていうかその漫画は男子バスケの話だし、男子の禁欲ってつまりはそういうことでしょ、と思ったんだけど、恐らく佐川は気づいてないっぽくてそれもまただるかった。

「禁欲って言うけどさ、具体的には何を禁止するの?」と、部内で恐らく一番かわいい顔の八木ちゃんが言う。「とりあえずー、八木ちゃんはお菓子」と佐川。え、お前が決めるのかよ。「で、平子もお菓子かな」いやだからなんで佐川が全部決めるんだよ。

独裁は良くない、私はここで一旦ジャブを入れてみた。「漫画でもそうだったけどさ、こういうのって自主的にやるから意味があるわけじゃん。強制的にやったら、ストレスたまらない?みんな」ほらどうだ。

「うーん、でもー、私痩せたいし、いい機会だからお菓子禁止するのもいいかもー」ねえ平子、確かにそうね。すごく真っ当。試合前だしな。

うんうんと頷きながら、佐川が言った。「で、大道は絵を描くの禁止な。家でも学校でも」

 

あ、大道って私のことです。

 

ということで、ヒエラルキー下層の私は今絵を描くことを禁止されている。先生から学年通信の絵を頼まれたりとか、クラスの子から合唱祭のパンフレットの絵を頼まれたりとか、そういう依頼はどうしたらいいの?と聞いたら、それも試合が終わるまでは禁止、とのことだった。手癖で描いてしまう落書きみたいなのはもちろん禁止、美術の授業は仕方がないので許す、というもので、ヒエラルキーの下層にいるとこんなにも虐げられるのか、と悲しくなった。佐川に見つかったら練習量が倍。校内でお菓子食べるわけないから八木ちゃんと平子はいいよなあ、私なんてちょっとした落書きでもペナルティなのに。見つかるリスク高すぎるし。そもそも絵を禁止することでバスケ上手くなるのか? ならなくないか?

一番解せないのは佐川の禁欲内容で、「ギターを夜9時以降弾かない」というもの。いやそれ当たり前だから。普通守ることだからそれ。本当に理不尽だ。

 

今日は曇りで空は灰色で、今の私の気持ちもどれかっていうと灰色だと思う。いやでも工作用紙の色と見比べてみて初めて気づいたんだけど、曇り空の色は工作用紙の裏よりも白画用紙の方が近い。ああ今すぐ空の絵を描いてみたい、この曇り空の色を作ってこの風景を描いてみたい、でも私は馬鹿馬鹿しいヒエラルキーに飲みこまれてしまっているから、今のこの気持ちとか気づきを表現することが許されていない。

 

約束を破ることが怖いわけではなく、そもそもそんな決まりごとがまかり通る方がおかしい。おかしいのに、私が律儀に守っている理由はなんだ? 自分の居場所を守るとか言って、そんなことを強いてくる場所っていい場所なんだろうか。

 

この色とか気持ちとかやるせなさとか苛立ちを表現できないくらいなら、部活もやめていいし学校の決まりを破って先生に怒られたっていいしいじめの対象になったっていいとその時本当に思った。白い画用紙のような空をじっと見てから私は一人、ボール磨きをやめて逃げるようにして学校を出た。