私には父親がいない。私は父親というものを知らない。

 

父とはつい最近まで一緒に暮らしていた。いや、暮らしていたというよりはそこに「いた」というほうが正しい。父とはここ13年くらいまともに会話していない。会話ができない。彼は一切何も喋ろうとしないからだ。

 

私が中学生のころ、ある日を境に父を除く家族は父から拒絶されるようになった。

 

おはようとかお帰りとか、挨拶をすると怒鳴られるようになった。俺はお前らの家族じゃない、話しかけるんじゃねえと言われた。もちろん普段の会話もそうだったから、私は父に話しかけてはいけなくなった。

 

ご飯も一緒に食べなくなった。父が言うには、私たちが食べているものは「豚の餌」らしかった。母が作った食事を私がお皿に盛りつけて、父の目の前に置いた途端払いのけられた。皿が割れて食べ物が床とか壁に飛び散った。父は、お前らと一緒にこんな豚の餌みたいなもの食えるかよ、と言った。

 

父はもともと、食費を家に入れていなかった。父は家のローンを払うだけで、光熱費も食費も私たち姉妹の学費も全部母が賄っていた。ほとんどの家具は母が揃えて、全部母が支払っていた。父は母が揃えた家電と家具の恩恵を被りながら、さも自分が一人で生きてきて、家族を養ってやってるみたいな顔をしながらふんぞり返っていた。

 

父の口癖はいっぱいあった。死ねとか人間のクズとか社会のゴミだとか何で生まれてきたんだとかお前は失敗作だとかお前みたいな人間が生きていても社会が損するだけだからせいぜい人に迷惑をかけないようにひっそり生きろとか人として0点とか生かせてもらえることをありがたいと思えとか、そんなようなことはもう何千回も何万回も言われた。小学生のころから言われていたから感覚が麻痺していて、私は何を言われても悔しいとか悲しいとか思わなくなった。ただ、空しいと思うようになった。

 

金を稼げない奴は金を稼げる人間の言うことを聞くしかないんだから舐めた真似をするなともよく言われた。小学生とか中学生の頃に。働けるわけがないから何も言えなかった。空しい気持ちが大きくなっていって、私は本当に人間のクズで社会のゴミなんだと思うようになった。

 

母は仕事が忙しかった。お金をどんどん稼いで、子供たちを食べさせて学校に通わせなければならなかったからだ。母の仕事が忙しいのは仕方のないことだと思った。私たち姉妹は社会のゴミだから父に嫌われていてお金を出してもらえないから、母がかわいそうに思って一生懸命働いてくれているんだと思った。まあだいたいほぼ正解なんだけど、あの時は父がおかしいんじゃなくて、嫌われている自分たちが悪いんだと思っていた。

 

社会のゴミである私が社会の役に立つためには頭を良くするしかないと思って勉強をした。子供部屋になるはずだった部屋は父が自分の部屋として占拠したため、私はよくリビングで参考書を広げながら勉強していた。社会のゴミが勉強しているとイライラするのか、トイレなどで私が席を外すと参考書や教科書やノートが父によってよく捨てられていた。無感情でずっと勉強をした。その甲斐あって、高校は都立のそこそこ良いところに受かった。

 

高校の制服代すら高いと思って母に「制服が高くてごめんね」と言った。私はお金を稼げる人間になりたいと思うようになっていた。その頃には父を父とも思っていなくて、最終的に刺し違えてでも殺さなければならない相手だと思うようになっていた。

 

私は父親というものを知らない。私にとって父とは、存在しない虚構の権力を振りかざす世界も視野も狭い頭の悪い動物のことを指す。