無題

いつまでたっても幸せになれない気がした。幸せの受容器みたいなものがめちゃくちゃに破壊されているせいで、幸せらしきものを取りこぼしてしまうような、

 

そんな気がした。

 

 

自分の心が壊れる音を聞いたことがある。それは多分突然のことではなくて、気づかないうちに小さなひびがいくつもいくつも入っていたような壊れ方をした。どうして、よりも先に、やっぱりそうか、と思った。いつか壊れるということを、私はいつからか悟っていた。

 

当たり前のことを当たり前にすることはとても難しい。当たり前のことが当たり前でなくなった時に初めてそれを実感し、世界は多くの人の努力で成り立っていること、人は努力により人の形を保っていることを知った。その努力を持続させる力をつけるために、人は絶えず学び続けなければならないということも。

 

 

人は誰でも自分の幸せを願っている。トルストイは人生論において、それがすなわち生きることであると説いた。自分の幸せを他人が侵害する場合には、その他人を抹殺することも厭わない、それが生きることであり、同時に無意味な生き方であるとした。

全ての自己愛を捨てて、隣人の幸せを願って生きることこそが理知的な生である、というところまで読んで、私はそれ以上読み進めることができなかった。結局これは理想論で、実現されることのない夢のようだと思った。夢の中で生きていけることができたなら、どんなにか幸せだろうと、夢は夢であるから夢たりえていて、実現した途端それは現実となる。現実と夢の違いは、不都合が見えるか見えないかだけで、実は変わらない。でなければ、常に夢を見続けて夢を実現してきた私やほかの人々が、こんなに辛そうに生きているわけがないからだ。