知っている人生

何かを憎みながら生きることはとてもつらく大変なことですなぜなら憎しみは報われることなどなくただただ暗い影しかもたらさないから。

 

少なくとも私はそう思います。

 

でも、しかしながら、立ち上がれないほどに打ちのめされて、心を壊されて、それでもなお生きなければならないと思ったのは、憎しみから来る復讐心が私の中に渦巻いていたからでありました。

 

私が、私のことを理解してくれていると思える人に出会えることは決して絶対にないでしょう。理解してほしいなんて微塵も思っていないし、むしろ理解していると思われるなんて不愉快以外の何物でもありませんし理解できるはずがない、誰だって自分の人生しか知らないのだから。

 

人生の半分以上、父を憎みながら生きてきました。憎むことが、心の支えになっている部分もあると思います。

そういう意味では、父がいなければ今の私はないと言えるのかもしれません。

 

 

 

父を殺そうと何度も思いましたがその度に気持ちを抑えてこれたので今平穏な生活を送ることができています。父を殺したことで得られる心の平穏と今の平穏な生活とを比べることはできませんが、それはそれでよかったのかもしれないと今は思います。

父を殺せば父が私の人生の登場人物になってしまうから、いつも殺そう殺そうと思うもすんでのところで殺すのはやめていました。

 

決して、怖かったからとか、結局そんな勇気がなかったからとかではないです。私に技術があれば、ためらいなく殺していました。人生の登場人物にせずとも殺せる技術さえあれば、容赦なく殺していました。

 

私が、私のことを理解してくれていると思える人に出会えることは決して絶対にないでしょう。理解してほしいなんて微塵も思っていないし、むしろ理解していると思われるなんて不愉快以外の何物でもありませんし理解できるはずがない、誰だって自分の人生しか知らないのだから。

 

私は私の人生のことしか知りません。