無題

いつまでたっても幸せになれない気がした。幸せの受容器みたいなものがめちゃくちゃに破壊されているせいで、幸せらしきものを取りこぼしてしまうような、 そんな気がした。 自分の心が壊れる音を聞いたことがある。それは多分突然のことではなくて、気づか…

奥華子の楽曲の中に楔という名前の曲があって、約束は心をつなぎとめるものではなくて自分への気休めなんじゃないかみたいな歌詞があるのだけれど本当にそう、奥華子は正しい、約束では心をつなぎとめることができない。例え書面でかわすようなガチガチの約…

自分のことを無機物だと思い込めば無敵

誰かに必要とされたいけれど、別に誰でもいいというわけではなくて、私が必要としている人とは別の人で、究極私がいなくても生きていけそうな人に、私のことを必要な人間だと半永久的に思っていてほしい。 金曜日の夜、高校の時の同級生にいろいろなことを言…

雑感

実の親に責任を果たせと言っておきながら、その実自分の人生に責任を持てないでいる私は、さすがこの親にしてこの子ありと自分で背負うべき責任すらも親になすりつけようとしているどうしようもない人間だと思う。 昨日のこととあとはまあギリギリ明日のこと…

白いところしか歩けない

今の私を過去の私がもし見たらよかったと思うだろうかうらやましいと思うだろうかそれとも絶望して死んでしまうのだろうか。 あなたはエリートだ、と言われてそうかもしれないと思った。だって私は中学生の時からずっとずっとエリートと呼ばれる人種になりた…

泡が乾いていくような

一時の幸せに身を委ねることが未来の私の首を真綿で絞め上げていくような行為だというのなら、私は私を一思いに殺してしまうかそのまま生きて首をゆるゆると絞められて死ぬか、いずれにせよ死ぬんだったらせめてきれいに死にたい、私は私が一番輝いていると…

ヒエラルキーと居場所、一つの世界からの逃避

曇りの日の空は灰、美術の授業の課題で使った工作用紙の裏側と見比べながら私は体育館の前でバスケットボールを磨いていた。 女子バスケ部には部誌があって、そこに新入生が交代で練習メニューとか顧問の先生やコーチの言っていたことを書き留めていく。でも…

数年間の無意味

ある日の公園で小さな女の子がかき氷を食べながらお父さんと楽しそうに話している姿を見て、私は昔の私のことを思い出していた。 お父さんは家具のカタログを見ながら、なんとかちゃんはどういうお部屋にしたい?みたいなことを聞いていて、女の子はいちごの…

悪い人間

私の心は暴力によって何度も何度も屈しました、私は身体のみならず心までも暴力に屈しました。あの時のことは忘れたくても忘れられません。あの日の季節や曜日や流れていたテレビ番組まで克明に覚えていて、あの日大切な人が流した涙の色もその人に対して私…

許さない人

焦がれて焦がれて焦がれ抜いたあなたの顔も声も私は知らない 私は許さない人間になっていた 予定通りに進まないことが許せなかった 思い通りにならないことが許せなかった 自分の言ったことに責任を持たない人たちを許せなかった へらへらと過ごしている人た…

小学生の頃に通っていた学童クラブの一個下の男の子

小学生の頃に通っていた学童クラブの一個下の男の子は私が小学校二年生の時に小学校一年生として学童クラブにやってきて私が持たない社交性をフル活用して友達をたくさん増やしていた。 小学生の頃に通っていた学童クラブの一個下の男の子にはお兄ちゃんがい…

人と向き合うということ

何事にも多面性があり今見えているものが全てではなく見えていない部分が必ずあることを忘れてはならないと思った。 私の家族は表面上うまくいっているように見えるなぜなら一緒に住んでいるし子供が2人いるけど真面目に学校に通っているし父親は人柄がよく…

足を踏み外す

中学生のころ、ある日のこと、突然私は倒れた。 誰にも言っていないけれど、倒れたときのことはよく覚えている。倒れた後のこともよく覚えている。周りの人たちは私が急に倒れて気絶したと思っていたようだけれど、気絶なんかしていなくて、突然体から力が抜…

知っている人生

何かを憎みながら生きることはとてもつらく大変なことですなぜなら憎しみは報われることなどなくただただ暗い影しかもたらさないから。 少なくとも私はそう思います。 でも、しかしながら、立ち上がれないほどに打ちのめされて、心を壊されて、それでもなお…

安心できる場所なんてどこにもなくて、中学校の女子トイレの奥から2番目の個室にいるときだけが唯一ほっとする時間だった。 いじめられてたわけではないし、 周りから拒絶されていたわけではない。 周りの人たちはみんな優しくて、 だからこそ残酷な人たちに…

徐に訪れる死

中学2年生の時に私はゆっくりと死んだ。 人はすぐに壊れてしまう。汚い言葉を浴びせ続けるだけで中学生女子の心なんて簡単に壊すことができる。父から罵倒され続けたことで、私は自分自身がこの世界で最も不必要な存在だと思っていたし、すぐにでも死ぬべき…

私の父

父は無邪気な人だった。 私がまだ小さかった頃、父がまだ私をかわいがってくれていたころ、もう今はあまり思い出せないけれど、父はとても無邪気な、子供のような人だったと思う。 天気がいいから、という理由で仕事を休んで釣りに行って、真っ赤に日焼けし…

私には父親がいない。私は父親というものを知らない。 父とはつい最近まで一緒に暮らしていた。いや、暮らしていたというよりはそこに「いた」というほうが正しい。父とはここ13年くらいまともに会話していない。会話ができない。彼は一切何も喋ろうとしない…

私と母

母は仕事の人だった。 我が家は父も母も働いていたので、私は保育園に通っていたし、小学校に上がったあとも学童クラブという放課後保育施設に通っていた。当時共働きの家庭や親が一人の家庭は少なく、私と同じ学年で学童に通っている児童は私しかいなかった…

私と妹

私には妹がいる。 年は4歳離れていて、妹が早生まれなので学年でいえば3つ違う。4歳離れているというのはまた微妙で、1、2歳離れている兄弟ほどの近さはないし、6~10歳離れている兄弟ほどの「第2の親感」みたいなものもない。第2の親感が存在するのかどうか…

私のこと

昭和が平成に移り変わるその狭間に私が生まれた。覚えていないけど。 生まれたのは東京で、下町と呼ばれる場所だった。私はそのままそこで育っていくことになる。 私が覚えている最古の記憶は3歳の頃に引っ越したマンションの3階で「3」と書かれたパネルを見…

本ブログについて

家族のことと自分のことについて考えていることをまとめねばならないという天啓が下りてきたので覚書のような感じでここにつづっていければと思います。 宜しくお願いいたします。